新しいコンセプトのバトルイベント King of The Dancers !!

B-Boy Storm

B-Boy Storm
ヨーロッパ、B-Boyシーンの父と言っても過言ではない男、”STORM”。
今でも世界中のリスペクトを集めるMR.OLD SKOOL である。
さて、俺がダンス界で最も好きな人物の1人であるB-Boy Storm の話は面白かったり、本当に感慨深いので、旧AASDページのインタビュー記事を流用しつつ、改めて彼の紹介をしたいと思います。
TKO(以下T):まずは、彼がダンスを始めたきっかけは・・・
STORM(以下S):ダンスを始めたのは83年の事。俺が13歳の時だ。当時、ベルリンで行われたJAZZフェイスティバルにN.Y.からマグニフィシャントフォース(Mr.WigglesやFABLEなどがいたチーム)がゲストパフォーマーとして来た事があるんだ。
俺はライブで見たわけではなく、テレビで見たんだけど、とても衝撃的だった。当時のドイツでは多くの人達がそのショーを見てブレイクをやり始めたんだ。映画「フラッシュダンス」がドイツで公開されるほんの数ヶ月前の出来事だったよ。その後、同じくこのパフォーマンスを見て感動した近所の若者と練習を始めるようになったんだ。
T:Battle Squadは当時のヨーロッパでは際立って高い技術とダンスを習得していましたが、それはなぜたと思いますか?
S:練習だよ。練習に練習。他に理由は考えられないよ。
俺の家は家庭環境にあまり恵まれてなかったから、心の行き場が無かったって言うのもあるかもしれないよ。だから俺は若いうちに既に、「俺はダンスで生きていくんだ」と決心したんだ。それから俺とSwiftはHip-Hopを求めて旅して回った。ダンサーの噂を少しでも聞けば俺たちはすぐに列車に乗り込んで、彼らに会いに行った。
例えば、スイスのチューリッヒにジャジーロッカーズというチームがいるという噂を聞くとすぐスイスを訪ねた。彼らとバトルをし、そしてその後仲良くなった。そして、彼らのナイスムーヴを見たら「どこからそのアイデアを思いついたんだい?」って必ず質問した。とってもたくさん話をしたよ。そして話をする事で多くのB-Boy達の「考え方」から影響を受けたんだ。
今のB-Boy達は他のB-Boyのムーヴをビデオで研究して、そのムーヴをただ真似するだけで、なんでそのムーヴが生まれたのか考えないけれど、それを知ることが大切なんだ。例えばこの動きはカンフーから来ているとか、そういうバックグラウンドを学ぶことが大切なんだよ。
俺たちはとりあえず噂を聞けばすぐに飛んで言ったから、行った先で何も見つけられないって事もよくあったよ。ひどいときなんて8~9時間も電車に揺られて噂の場所を尋ねても、結局何の情報もないので何も見つけられなかった事もあるよ。それで、また8時間も電車に揺られて帰るんだ。その道中の長い時間、俺達は踊りについておしゃべりを続けたよ。何を感じたか、俺たちはどうしたいのか、そんな事についてとにかく話し続けた。
それも俺たちの上達が早かった理由の一つかもしれないね。
T:ダンスに目覚めたキッカケは何ですか?
S:俺の姉はジャズダンスをやっていたし、母は常にキッチンで踊っていたよ。
俺は宿題をキッチンのテーブルでやってたんだけど、そんな時母親はいつも料理しながら踊ってた。ラジオに合わせてね。時々は俺のことを一緒に踊ろう!って誘って歌いながら踊っていることもあったよ。俺が他の人よりも踊りが上手くなるのが早かったのは、リズムについてよく知っていたからじゃないのかな。毎日のように母親が踊っているのを見ていたからさ。父も歌や踊りが好きで、車の中ではいつも大声で歌っていたよ。そんな家族に小さい頃から影響されてきたんだよね。
13歳の時父親が家を出て、母親はアルコール漬けになってしまった。
それから俺は旅をするようになった。
当時インターレールと呼ばれるチケットがあったんだ。ヨーロッパの電車はどんな電車でも1ヶ月間乗り放題だったんだ。89年から99年の間はね。そのチケットを買ってヨーロッパ中旅して回ったんだ。俺たちは電車の中で寝て移動したよ。そして踊って、また電車の中で寝て帰った。まるでバックパッカーのような生活だったね。
さて、STORMには世界のどこかでよく顔を合わせるのだが、会うたびに俺は「面白い話」をおねだりします。彼が俺にしてくれた話の中で最も僕が気に行っている話を御紹介しましょう!
「HIP-HOPのコンテスト???」
S:92年に俺達は初めてスウェーデンに行ったんだ。地元のMTV主催のHIP-HOP Championshipsというイベントがあったからそれに出に行ったんだよ。そうしたらそれは、ミュージシャンのためのイベントだったんだ。つまりほとんどがRapperが参加しているコンテストイベントだったんだ。
会場入りすると、スタッフに「リハーサルが必要だろ」って聞かれたんだ。俺達はチラッとステージを見て、十分なスペースだったので「OK」とだけ答えたよ。
「サウンドチェックは?」と聞かれので、マイクに向かって一言しゃべって、そして「OK」って答えた。彼らは俺達の事を完全にRAPグループだと思っていたんだ。俺たちのショーが始まるまで、誰一人として俺達のことをダンサーだと思っていなかった。そう、始まるまでね(笑)。
俺たちは音楽がかかったらすぐにマイクスタンドをステージの端にどけて、踊りだしたんだ。客だけじゃなく、参加者もみんなびっくりしていたよ。スウェーデンの観客は俺達のスローモーションムーブも初めて見たんだ。(Battle Squad は、激しく動くショーの最中に突然スローモーションの動きを入れて観客を楽しませていた。)実は俺達は2人(StormとSwift)でショーをやることが多かったから、とても体力が持たなかったので、この動きを考え付いたんだよ。とにかくいつものように俺達はとっても早くパワームーヴをやった後、突然ゆっくりとしたスローモーションムーヴに移行したんだ。そうしたら見ている人たちの驚いたことといったら無かったね。もう観客の歓声で、音楽が聞こえなくなるぐらいだったよ。そしてとどめはヘッドスピンだったね。俺は既にエンドレスでヘッドスピンが出来たんだけど、誰もそんな動きを見た人はいなかったんだ。皆は空いた口がふさがらなかったよ。
T:ではそのコンテストでは優勝したんですか?
S:知らない。ショーが終わったら俺達はすぐに帰ってしまったから!!
“STORM”から聞いた、タメになる話
T:そんな世界的なB-Boyシーン冬の時代の中で、何故あなたのチームBattle Squadは高いレベルのパフォーマンスと技をマスターする事ができたのでしょうか?
S:俺たちは箱の中にいなかった。(Stormの言葉を直訳しています。We are not in the BOX!)。皆箱の中から出ようとしないんだ。
俺が中学生の時、学校の授業の中でドイツの国政について話題になったことがあった。当時はまだドイツは東と西、共産圏と民主主義圏に分かれていた。俺が東西統一の可能性について話をすると、先生は「そんな事は絶対にあり得ない」と言ったんだ。俺が「何故あり得ないと言えるのか」と反論すると、先生は「君は政治の事を何も分かっちゃいないね」と言ったんだ。それからほんの数年後に東西ドイツは統一を果したんだ。
その時俺は既に学校を卒業していたけど、わざわざ人づてに先生の電話番号を調べて電話したんだ。「あの時の事覚えてますか?」ってね。
先生は、「あの当時は今のような状況はとても考えられなかった。」と答えたよ。俺は先生に言ったんだ。「あなたは自分でルールを決めようとしている。箱の中にいるのはやめてくれ!」ってね。
皆自分の箱の中から出ようとしないんだ。だからそれ以上の事が出来ない。
俺たちは常に箱から外に出ようとしてきた。ただそれだけさ。
インタビュー後記
東西ドイツが奇跡的な統一を果した後、先生の電話番号をわざわざ調べて電話をかけたストームの気持ちに僕はとても感銘を受けた。
彼は、自分のプライドを傷つけた先生が許せなかったのではなく、教育者であるべき先生が、まだ若い生徒の気持ちを”箱”の中に閉じ込めようとする事が許せなかったのだと思う。恵まれていたとは言いがたい彼の家庭環境も、結果的には「STORM」というB-Boy界の偉人を作り出す肥やしとなった。ドイツが生んだまれに見る天才B-Boyを作り上げたのは、飽くなきトレーニングだけではなく、その深い思想に裏づけられている。

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